受験の弊害
少し尖った話をします。
このサイトの読者様を落胆させてしまうような内容も含まれているかもしれません。ですから、そっとページを閉じていただいても大丈夫です。
それでもご覧いただける方は続きをどうぞ。
受験の弊害は2つある
本題に入ります。
受験の話です。それも弊害について。
中学受験のために進学塾に通い始めた小6の頃から、地方の私立中高一貫校に進学した中学時代にかけてのことです。
私は大きな違和感を抱いていました。
受験の弊害について。もっと大きく言うと日本の教育の欠陥について。
何を偉そうに…、と思われるかもしれません。でも同じように感じている人はたくさんいるはずです。
でも、現実的な事情を考えると違和感はサッと消えてゆきます。早朝の朝露のように。何もなかったかのような晴れた顔をして明るい舞台を期待するのです。
受験の弊害は多くの大人は気にも留めずさらりと流してしまいます。なかには、なんの違和感も感じないまま傍観しているのでしょう。
これは当然のことです。当事者ではないのですから。受験するのは子どもですから。大人はただ横で眺めて、期待する結果が手に入ればいいのです。保護者も教育者も。
1つ目の弊害
さて、受験の弊害には大きく分けて2つあります。
1つ目が受験前の弊害。
受験業界はいわゆる「できる子」を量産します。
多くの教材を与え、厳しい選抜と競争を繰り返し、さらに優秀な子どもを育てます。
農作物の育種試験に例えるとわかりやすいかもしれません。育種とは、植物をより人類の役に立つように品種改良することです。形が綺麗なもの、味が万人受けするもの。イネの場合は、熟しても落下しにくいこと、混ざりものがなく真っ白であることも重要です。
同様に受験の世界では、素早く解答すること、ミスをしないことが重視されます。
このような訓練を積んだところで、「創造的思考力」や「批判的精神」など育つわけがないのです。みんな知っているのです。受験は意味がないと。かえって勉強嫌いを増やすだけだと。
受験勉強で手に入るのは、雑多な知識の記憶量や短絡的な反射的思考力でしかないのです。
それでもやめられない。
受験をしたほうが「上手くいく」と思っているから。
2つ目の弊害
そして2つ目は受験後の弊害です。
正確には(中学・高校)受験と(大学)受験の間の弊害。
中高一貫教育は素晴らしい案だと思います。
それでも「なんか違うよな」と思わずにいられません。
「受験のための」一貫教育をしているところが多いです。まさかと思うかもしれませんが、私はこの目でしっかりと見ましたし、実際に体験したのですから。
中学生のうちから受験のために特定の教科に力を入れたり、定期テストの点数に応じて部活動を制限したり、長期休暇を減らしたり、放課後まで居残りさせたり…。
こんな教育を6年間も続けたら、知的な領域における世界の広がりなんて期待できるはずもありません。
再び「できる生徒」として受験界に送り出されるのです。
多くの保護者が期待していることかもしれませんが。
最後に
…などと偉そうに、みなさんより多くの受験をした私が語っております。
最後までご覧くださり、ありがとうございました。
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