本に囲まれた勉強部屋で想うこと
帰省して感じるもの
ふらっと帰省することが多いです。
あれ、今日はちょっと実家が恋しいなぁ。なんて思ったら数時間後にはバスに乗って高速を走っています。翌朝には大阪に着いて雑踏に紛れていきます。そして下り列車を乗り継いで地元へ。
日焼けした枕木がギシギシ音を立てながら、列車が通り過ぎるのを見届けます。小さな踏切をわたり、幼少期と変わらず古い家屋が点在する通りを歩きます。泥まみれになった道路に季節を感じながら、顔を上げると遠くに見覚えのある屋根が覗いていました。
育ち盛りの庭木を横目に花の香りに包まれた庭を抜けて、そっとドアを開くと実家です。微かに木の香りが漂ってきました。書物の匂いもうっすらと混じっているのでしょう。幼少期から深く身体に刻み込まれてきたこの匂い。ふたたび大きく息を吸うと遥か昔から存在していた大地のように一安心するのでした。
勉強部屋に足を踏み入れる
静かに階段を上がると頭上から日が差し込んできます。踊り場で角度を変えて突き当たりの部屋が私の勉強部屋。
いまは父が使っており、壁一面に書物が並んでいます。小学1年生の頃からずっと使ってきた勉強机は買ったばかりのように輝いており、中学受験生時代からずっと使ってきた椅子もやはりしっくりと馴染むのでした。
ゆっくりと椅子に腰かけて机に向かいます。卓上照明を点けると…。これはどういうことでしょうか。
不思議と意欲が高まってくる自分に気がつきました。
幼少期からずっと使い込んできた学習机。ある特定の机に向かっていた時間では誰にも負けない自信があります。
いわば相棒です。
勉強の供。
いや、勉強の友。
あるいは、もう一つの自分。
蔵書がもたらす影響
電子書籍がもてはやされているようです。
一時は私も気になったことがありました。Kindle端末が欲しいなと思ったこともありました。
う〜む、でもやっぱり紙の本です。実家に帰るたびにそう確信するのでした。
なぜか?
それはモノとして感じられるからです。もっと正確に言うとこれまでの読書量が視覚的に把握できる。いや、自分の頭脳や志向がそのまま本棚として具現化されているからです。自分の知恵やら勉強やら理想やらが本の形となって並んでいる。それは視覚だけではなく嗅覚からも訴えるものがある。本を開くと既視感のある赤線やら付箋やら書き込みやらイラストやらが飛び込んできて、初めてその本を開いた当時の自分を思い出します。そうやって初心に戻りつつ、これまでに自分の身に起こった変化や経験を深く味わう。これがたまらなく楽しい。
名だたる偉人・文人・学者の視線を感じつつ、私は1日の9割以上をこの部屋で過ごすのでした。そして思い出したように彼らの文章をじっくりと読み込むのです。
ただの自己満かもしれませんが、自分も自分なりの世界を築いていきたいと思うのでした。
で、それが私の勉学意欲の源となっているのです。
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