自分が勉強嫌いにならなかった理由
今回は珍しく何かヒントになることがあるかもしれません。
勉強意欲が高すぎて衝撃を受けた話
最初に衝撃を受けたのは小6の頃です。初めて進学塾に通い始めたとき。
わざわざお金を払ってまで通うのですから、さぞ勉強好きな子どもが多いのだろうとワクワクしていました。で、実際に入ってみました。確かにみんな意欲的に机に向かっています。しかも能力の高い人がゴロゴロいます。これにはびっくりしました。よくこんなにも優秀な子供ばかり集まったなという印象を受けました。聞いたところによると20km、30kmも離れたところから通塾しています。私も電車を使っていましたが、もっと遠方の人もたくさんいました。
さて彼らと一緒に椅子を並べて勉強するわけです。それなりに楽しかったです。楽しいというよりは、新鮮だったと言う方が適切かもしれません。確かにやっていることは味気ないことばかりでした。先生がいきなり大声を上げたり、大量のプリントを延々と配ったり、点数が悪かったら蹴っ飛ばして廊下に放置したり…。そんな怒声を浴びせられながらも、負けじと勉強する子供ばかりでした。凄いね。私には真似できません。それだけ学習意欲が高いのでしょう。
う〜ん、でもなんとなく私とは違うなと幼いながらにも思っていました。「違う、こうじゃない」と。
勉強嫌いが多すぎて衝撃を受けた話
私が抱いていた違和感は中学入学とともに解消されました。
中学受験は無事に終わり、運よく第一志望の学校に入学することができました。
進学塾で同じクラスだった友人も何人か合格していて、楽しい学校生活をスタートさせました。
さてそれからが大変でした。
みんな勉強しないのです。いや正確には勉強嫌いだったのです。
これで疑問も解けました。
目標があったら勉強する。
目標がなかったら勉強しない。
単純なことでした。
しかしそれでも、先生が無理矢理勉強させようとしているのを見ていると、こちらも辛くなってきます。
いくら中学生の私でもわかります。
先生だって勉強嫌いなんだよね、と。
勉強好きな人は他人に勉強を押し付けたりしません。
自分が勉強嫌いでそれを認めたくないから他人に勉強を押し付けて満足している。
だから再び勉強嫌いが大量生産されてしまうのでしょう。
例えてみれば、水泳嫌いなコーチが水泳の訓練を押し付けているようなものです。
あるいは、野菜嫌いな人が野菜の手入れをしている。
これでうまく育ちますか?
私が勉強嫌いにならなかった理由
こうして振り返ると、重要なことがひとつ浮かびます。
なぜ、私は勉強嫌いにならなかったのか。
それは単純に勉強を押し付けられなかったからです。勉強しろとは言われなかった。一度たりとも。
私の親はいつもにこにこしていたのを覚えています。泥んこまみれになって帰宅したときも、バケツいっぱいの魚を捕ってきたときも、ずっと教材に向かって黙々と勉強したときも…。
すべて同じ笑顔でした。
それが良かったのかな…、なんて思い出したりします。
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